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​ハラスメントについてのノートー内なるもの、外なるもの

ホスピタルシアタープロジェクトには、その端緒から、舞台芸術ではあたりまえとして考えられてきた劇作家も、演出家も、振付師も存在していません。一人、あるいは少数のリーダー的存在のアーティストのビジョンを体現する、提示することが目的ではないからです。また、恒常的に活動を続け、レパートリー作品を上演する、いわゆる「劇団」とも「舞踊団」とも異なります。

毎年、様々な領域から集まった俳優やダンサー、音楽家、スタッフ、インターン生が皆、「障がい児や医療的ケア児等、すべての子どもたちが家族とともに演劇的体験を楽しむ」という目的をわかちあい、公平に、建設的にアイデアや意見をだしあい、ゼロから作品を生み出し、小道具等も創り上げていく。ツアーの会場では皆で仕込みを行い、「主役」となる子どもたちとその家族をお迎えします。

カンパニーの一人ひとりが担当する仕事において、リーダーとして、いまこの瞬間に何が大切なのかを判断できる存在とするためです。障がいをもつお子さんのみならず、すべての子どもたちは、大人たちが望むこととはかなり異なる、想定外の反応をつねに返してくれます。それに対してコンベンショナルなあり方-大人しく座っていましょうね、じっとして居ましょうねーではなく、呼応していく、むしろその関心を拾い上げていく力を、カンパニーの一人ひとりが持つことを望んでいるからです。ヒエラルキーのある組織では、上長の判断を仰ぐことになりますが、パフォーマンスの現場においては「その瞬間」の判断を必要とするのです。

ただ、このような働き方は、アーティストらに多大な負荷のかかるものであることを、ご理解いただけると幸いです。楽しくやりがいはあるけれど、通常のパフォーマンスよりも2倍以上の疲れを覚えるとは、多くのアーティストが口にすることです。

昨今、私ども舞台芸術業界では、多くのハラスメントの問題が顕在化するようになりました。先にも綴ったように、「一人、あるいは少数のリーダー的存在のアーティストのビジョンを体現する」ことが正解だと考えられてきたからかもしれません。実際、「なぜ演出家を置かないのか?」「演出家をやらせてくれ」「芸術的質をあげたければ…」という声を何度も耳にしていきました。

私事になりますが、私はアートマネジメントの教師として、民主主義的組織を謳いながら、創造面ではリーダーらに権力が集中し独裁を許し、それをあたりまえのものと考える芸術組織の在り方に違和感を覚え続けてきました。だからこそ、プロデューサーとしての私は、指揮者を置かずリーダーシップを固定させないニューヨークの「オルフェウス管弦楽団」のビジネスモデルや、即興するフラットな組織のモデル等を応用することを選びました。

また、お客様は神様ですとあがめながらも、「出来上がった作品を一方的に見せる」だけのあり方にも抵抗を覚えてきました。大人しく、じっとしていなきゃならない、反応を封じ込められるのは、子どもたちにとっては(大人だってそうですよね)、ときには虐待のような痛みを伴うハラスメントなのではないか? 特に、障がい児を抱える親御さんたちが、つねに周囲を気を配り、謝り続けなくてはならない環境は、絶対におかしい。

このように綴ってきても、私にも正解はわかりません。わからないからこそ、当たり前を疑い続けていく。「大切なことは何か?」。「誰かに犠牲を強いてはいないか?」。それを考えることを忘れてはならないと自戒するものです。

2023年4月4日

プロデューサー 中山 夏織

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